両陣営によるテロ行為

terrorism 1ハマスのロケット弾攻撃により破壊された建物

パレスチナにおけるテロ攻撃は、パレスチナ側によるものだけとは限りません。また、日本と無縁なものでもありません。イスラエルにもユダヤ系武装組織は存在し、日本赤軍はかつてパレスチナ側の組織とともにイスラエルでテロ事件を起こした過去があります。

パレスチナ側によるテロ

パレスチナ人は、アメリカの支援を受けたイスラエルに軍事力で真正面から戦ったのでは勝てません。それでもイスラエルの占領や軍事行動、また虐殺に対抗・報復するため、正規の戦闘ではない暴力的手段に訴えるパレスチナ人は少なくありませんでした。

  • エル・アル航空426便ハイジャック事件は、第三次中東戦争中の1968年に PLO 傘下のパレスチナ解放人民戦線 (PFLP) がイギリス発イスラエル行の航空便をハイジャックし、当時イスラエルに宣戦布告していたアルジェリアに強制着陸、イスラエル人の乗員乗客を人質に、収監されているテロリストの釈放を要求した事件です。親パレスチナ的態度を取るアルジェリアの思惑もあり、16人のテロリストが解放されるなど、このハイジャックは成功に終わりました。
  • ロッド空港乱射事件は、1972年5月、日本赤軍が PFLP と共同で計画したテロ攻撃です。反イスラエルの極左という共通点を持った両組織は協力し、非アラブ人であり監視の目を潜り抜けやすい日本赤軍の3人が、ライフルと手榴弾でイスラエルの現ベングリオン空港で警備隊や民間人を無差別に銃撃し、26人が亡くなりました。当時無差別テロの前例はなく、後のテロ組織に大きな影響を与えたといわれています。
  • ミュンヘンオリンピック事件は、1972年9月、当時開催中だったミュンヘンオリンピックのイスラエル選手宿舎にテロ組織「黒い九月」が侵入した事件です。イスラエル選手団を人質に取り、前述のロッド空港乱射事件で逮捕された日本赤軍メンバーを含むテロリストを解放するよう要求しました。救出作戦は失敗し、人質11人全員と西ドイツ警官1人が亡くなり、実行犯も5人全員殺害されました。

近年ではハマスによるイスラエル軍兵士誘拐事件や自爆テロなどがニュースで取り上げられていましたが、イスラエルが建設した分離壁によりテロリストの移動が難しくなり、また PLO と連立政権を樹立してからは比較的穏健な振る舞いをするようになりました。

イスラエル側によるテロ

イスラエル建国前後の時期は、ユダヤ系過激派によるテロ行為が最も盛んに行われました。「イスラーム教武装組織」と呼ばれる組織とほぼ同数の極右ユダヤ系組織が暗躍し、独立前後の混乱に拍車をかけたのです。

  • デイル・ヤシーン事件は、イスラエル建国直前の1948年4月にユダヤ系民兵組織「イルグン」、「レヒ」などによって行われたアラブ人虐殺事件です。ヨルダン川西岸地区のデイル・ヤシーンという村を攻撃して制圧したイスラエル民兵は、非武装の高齢者、女子供も含め107人前後を無差別に殺戮しました。パレスチナのアラブ人はこの事件を含むユダヤ人側の虐殺事件に危険を感じ、その多くがパレスチナを脱出する結果となりました。
  • ハン・ユニス事件は、スエズ危機の最中である1956年にガザ地区内のハン・ユニスに進駐したイスラエル軍が、200-275人のパレスチナ難民や民間人を射殺した事件です。イスラエル軍は武装ゲリラ検挙の名目のもと、男性を一列に並べて処刑していきました。夜間外出禁止令のため遺体の収容もできず、犠牲者は一晩放置されるという事態に陥りました。
  • サブラー・シャティーラ事件は、1982年にレバノンのサブラーとシャティーラの難民キャンプで、パレスチナ難民762-3500人が親イスラエルのレバノン民兵組織「レバノン軍団」に虐殺された事件です。殺害を実行したのはレバノン側ですが、イスラエル軍が夜間作戦のため照明弾を打ち上げたり、事件後にシャロン国防相(後に首相)が「イスラエルは手を汚していない」と口にしたことなどから、イスラエルの支援があって行われたことは明白です。

このほか、イスラエルの諜報機関であるモサドは誘拐や暗殺で悪名高く、テロリストはもちろんパレスチナ政府要人まで殺害しています。イスラエル軍のガザ空爆では毎回民間人の死傷者が出ることに加え、ユダヤ系入植者がパレスチナの主な産業であるオリーヴの農園に放火したり、イスラエル軍が家屋を不当に破壊したりすることは日常茶飯事で、イスラエルは対人のみならず対物でもテロ行為を行っているといえます。

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